「趣味や好き」が一致するよりも「嫌い」が一致する関係の方がうまくいく?【漫画コラム】

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若かりし頃は、かたくなに「つき合う人とは音楽の趣味が同じじゃないと嫌!」なんて思ってました。
筆者にとって音楽はある種宗教のようなものなので、ぜんぜん違うフィールドの人とは、友達にはなれてもつき合えない。そういう人は音楽だけじゃなくって、他の部分の価値観だって違うはず! そんなの耐えられない! と決めつけていたのです。思い出すだに、頭がクラクラしてくるような潔癖ぶりです。

そんな筆者でしたが、ふり返れば今まででいちばん長く続いたのは、音楽やその他の趣味があまり合わない人でした。あれれ? 
なぜ、あれほどまでに趣味趣向が同じ人を求めていたのに、逆の結果になったのか? それはその人の人間的魅力が趣味なんかよりもまさっていたことと、生きる基本的姿勢といいますか、根本的な部分での価値観が同じだったからだと思います(音楽の話ができないのはフラストレーションでしたがね…)。

人間、好きなモノが一致しているよりは嫌いなモノが一致している方が、相性はいいのではないか。

例えば「天ぷらには塩派。天つゆなんてありえない」とか「歩きタバコは許せない」とか「海や山を汚す人には本気で怒りがこみあげる」とか「○○党の政治は支持できない」とか……。
好きなモノは変わることもあれば、飽きてしまったりもします。ざっくりと大きいくくりで合っていれば、細部は多少違っていてもいい。けれど許せないこと、嫌いなことの中にはその人の美意識の根源のような、生きていく上でいちばん守りたいもの……いわば、その人の基本的な生理が潜んでいるような気がするのです。
その生理の部分が一致している人は、話さずともわかり合えることが多い。

一見、「表面的な好み=価値観が同じ」と思いがちですが、実は嫌いなモノが一致することこそ、価値観が同じといえるのではないか。そんな風に筆者は考えます。
(アオノミサコ)

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この記事を書いたライター

アオノミサコ
イラストレーター・漫画家。美容から神事、ディープスポット巡り等の漫画やコラムを執筆。著書『わがままセラピー入門』(KADOKAWA)が販売中。

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