「そんなつもりじゃなかった」ではすまされない~セクハラの言語学~

たとえばある日、男性の上司から「今日はずいぶん薄着だね。寒いんじゃない?」と言われたら、部下の女性社員はどんな気持ちになるでしょうか。

「確かにいまオフィスが少し冷えてるし、気遣ってくれてるのかな」と思う人もいれば、「服装のことを見ているなんて、気持ち悪い。これってセクハラ!」と感じる人もいるでしょう。実際、上司は「そんなつもりじゃなかった……」と思っていても、「セクシャル・ハラスメント(セクハラ)」として問題になってしまいます。この場合、もし上司が「気遣い」のつもりでことばを発していたなら、どうしてそれが「セクハラ」となってしまうのでしょうか。その理由や仕組みを、言語学の観点で整理してみましょう。

言語学者の堀田秀吾氏は、この状況を「発話行為理論」という考え方で説明できると言っています。これは、ことばを発することそれ自体が「行為」というものです。もう少し分かりやすく説明しますね。

人間は何かことばを発しますが、実はそれによって何かしらの「行為」を行っているのです。「こんにちは」と言うのは「あいさつ」という行為ですし、「ごめんなさい」と言うのは「謝罪」という行為といった具合です。
つまり、ことばを話すということは、それ自体が何らかの行為になっている。単に「話す」だけではなく、なんらかの意味が付け加わるということ。そのような、ことばを話すことの新たな意味のことを言語学では「発話行為」と呼んでいるのです。

行為は、相手に対して何かしらの影響を与えることがあります。例えば、誰かににらまれると恐怖を抱いたり怒ったりしますし、恋人に優しくされればうれしくなったりリラックスしたりしますよね。これと同じように、ことばを発することも、ことばの内容ではなく、行為として相手に影響を与えるということ。わかりやすい例で言うと、「ガンバレ!」ということばを発する、これは「激励」という行為になり、結果的に相手は勇気づけられます。「やめなさい!」ということばは、「叱る」という行為で相手を思いとどまらせられる。

ここで、ポイントとなるのが、「発話行為」がどんな意味を持つのか、つまり相手にどんな影響を与えるかは、話し手と聞き手で一致するわけではない、ということ。「konnichiwa」という音の集まりが「こんにちは」だとわかり、「あいさつ」という行為だと理解されるのは、聞き手がそのように解釈するからなのです。仮にそれを聞き手が「ケンカを売られてる」と解釈したらそれは失礼な行為になります(あいさつのつもりだったのに)。冒頭のセクハラの問題は、この不一致が引き起こしてしまっているというわけ。

「今日はずいぶん薄着だね。寒いんじゃない?」ということばは、話し手としては「気遣い」という行為でした。一方で、聞き手がそれを「セクハラ」だと解釈すれば、上司の発話行為は「セクハラ」という行為になってしまうのです。

ちなみに最近では、同性間のセクハラも注目されています。
具体的には、「女性上司が女性の部下をしつこく食事に誘う」、「男性間で性的なからかいやうわさ話をする」といった例。話し手は「誘う」「からかう」という行為のつもりでも、聞き手がそう思わなかったら、「セクハラ」となってしまうのです。

最後に、自分のことばがセクハラとならないための対策をご紹介しようと思います。それは、「不一致をできるだけ避ける工夫をする」ということです。常に話し手は「聞き手が自分のことばをどう解釈するのだろう」ということに注意を向けてみてください。そして、ことばを足したり表現を選んだりして、聞き手が誤解をしないようにできるだけ努力する必要があります。誤解が生まれそうであれば、あえてことばを発しないということも立派な対策です。「そんなつもりじゃなかった……」という状況にならないように、普段のことばに少し注意を向けるようにしましょう。
(五百田達成)

参考文献:堀田秀吾『なぜ、あの人の頼みは聞いてしまうのか?―仕事に使える言語学―』(ちくま新書、2014)

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