どうせ結婚できないから? ワンナイトラブを繰り返してしまう心理【LGBTの恋愛事情】

どうもこんにちは、ゲイライターの渋谷アシルです。
最近、ネットやテレビでも話題を集めることが多くなったLGBT。そこで、より深くぼくらを理解してもらうためにこの連載ではLGBTの恋愛事情について、個人的主観もちょっぴり混ぜつつ解説していこうと思います。

目次

LGBTの恋愛観は二極化している


前回は「LGBTの出会い」に関してお伝えしましたが、二回目の今回は「LGBTの恋愛観」についてのお話。

細かいところをあげていったらキリがないんだけど、セクシュアル・マイノリティーの人たちの恋愛観って、二極化されているのよね。それは、「一生のパートナーを求める」か、「その場限りの出会いを楽しむ」か。

前者は文字通り、一生をかけたお付き合いを望む、という考え方。ストレートの人たちでいえば、「結婚」ってところかしら。もちろん、ぼくらのなかでは、(いまの日本においては)結婚という選択肢はないんだけど、それ相応の付き合い方をしている人は大勢います。

双方の両親に紹介したり、同棲をしたり、仲間内だけでの結婚パーティをしたり……。そのカタチはさまざま。独りで生きていくのではなく、信頼できるパートナーと手を取り合って生きていきたい。そう願うのは、LGBTもストレートの人たちも同じよね。

で、それと同じくらい、もしくはぼくの感覚でいうと、それ以上に多いのが、「その場限りの出会いを楽しむ」って考え方の人たち。マッチングアプリや二丁目で知り合った人とワンナイトラブを楽しんで、あとはそれっきり。お付き合いする気もないし、例えパートナーがいたとしても、他の人と簡単にセックスをする。そんな人も珍しくない。

その根底にあるのは、「どうせ独りなんだから」という想いなんじゃないかしら。確かに、ぼくらは結婚もできないし、なかなか関係性を公言しづらい。長年お付き合いをしてきて事実婚のような関係だったとしても、社会保障を受けられるわけではない。「だったら、真面目に誰かひとりと付き合うなんてバカらしい」なんて考えに至ってしまうのも理解できるし、そういう人を責めることなんてできないわよ。

一途になれない結果、最終的には孤独になる人も


でも、そうやって遊んできた人が、40歳、50歳になったとき、独りになってしまうのも事実。特定の誰かと深い関係を築いてこなかった結果、気がついたら年齢だけを重ねていて、人間関係は希薄なまま。特定のパートナーを作ろうと思っても、もはや時すでに遅し……。

もちろん、どういう生き方をするかは、個人の自由。だけど、LGBTに生まれついたことを理由に、奔放な恋愛に走るのは、なんか違うと思うのよ。LGBTだって、特定のパートナーと幸せになれる。結婚できなくても、社会的に認められなくても、一生を添い遂げることはできる。ましてや、ここ最近の日本は、ぼくらを取り囲む環境を変えようとする動きが盛ん。すぐには無理かもしれないけれど、近い将来、LGBTのパートナーシップを認める制度が成立するかも……なんて希望も見えてきているのよね。

ヤケになる気持ちもわかるけれど、一生一緒にいたいと思える人を見つけるために、前向きな恋愛観を持ってほしい。個人的にはそう思うわ。

さて、「LGBTの恋愛観」については、こんな感じ。刹那的に生きている人が多いのは、自身のセクシュアリティに諦念を抱いているからなのよね。今後、少しでも変わっていくといいんだけど。
ぼくらのこと、ちょっとはわかってくれたかしら?
(渋谷アシル)
刹那的に生きている人が多いのは、自身のセクシュアリティに諦念を抱いているから? Photo by Thinkstock/Getty Images
刹那的に生きている人が多いのは、自身のセクシュアリティに諦念を抱いているから?
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この記事を書いたライター

渋谷アシル
昼間は会社員の仮面をかぶった、謎のゲイライター。これまでお付き合いしてきたオトコをネタに原稿を執筆する、陰険な性格がチャームポイント。オトコに振り回される世の女性のために、ひとり勝手にPCに向かう毎日。

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