「セックス経験がない自分が恥ずかしい」と思ってしまう時に考えたいこと

20代の頃に、同い年の友人から「恥ずかしながらセックスの経験がない」と、相談を受けたことがありました。ちょっと待った、「恥ずかしながら」という部分に、筆者は違和感を覚えました。「セックスを経験したい」というニュアンスではなく、共人は「セックス経験がない自分が恥ずかしい」という部分が気になっていた様子……。

目次

“経験がない=恥ずかしい”ではない


大前提として、「セックス未経験=恥ずべきこと」ではありません。セックスに限らずですが、「経験がない=恥ずべきこと」には該当しないのです。そりゃ確かに、経験は人生のバリエーションを豊かにしてくれるものです。

たとえば、富士山登山。経験者にとっては、富士山に登ったという経験が、達成感や自信に繋がり、その後の人生にも大いに活かすことができるでしょう。だからといって、“富士山登山の経験がない=恥ずかしい”とは思わないですよね。これまでの人生で、たまたま富士山に登る経験がなかっただけのこと。
また、いま現在は経験がなくとも、数年後に登る機会が訪れるかもしれません。

セックスも同じように考えましょう。これまでの人生で、たまたまセックスをする機会がなかっただけのこと。いま現在未経験でも、遅かれ早かれセックスの機会が訪れる可能性は大いにあるのですから。

人間は“未経験の事実”をいちいち公言しない


「セックス=お年頃になればほとんどの男女が経験する行為」という漠然としたイメージから、「未経験=少数派」という部分に引け目を感じる人もいるでしょう。
とんでもない! 男女問わず、30代にも40代にも、セックス未経験者は存在します。ただ、その事実をいちいち大っぴらに公言しないだけなのです。

セックスに限らず、人は経験があることに関しては公言しますが、経験がないことに関しては、あえてオープンにしません。先に挙げた富士山登山にたとえましょう。登頂経験のある人は「去年の夏、富士山に登りまして……」などと、自ら情報発信します。登頂経験のない人は、「私は、富士山に登ったことがないのです」などと、わざわざ言うことはないでしょう。

“未経験の自分が恥ずかしいから経験したい”ってどうよ?


「いま現在はセックス未経験だが、いずれはセックスを経験したい!」という考え方は、非常に健康的で良いと思います。「セックス未経験な自分が恥ずかしいから、セックスを経験したい」は、ちょっと違うような気がしてならないのです。

繰り返しになりますが、富士山登山と一緒ですよ。
「いま現在は富士山登山未経験だが、いずれは富士山登山したい!」ならばノープロブレム。「富士山登山未経験な自分が恥ずかしいから、富士山登山したい」って、なんだかヘンですよね。

「恥ずかしい」という部分にフォーカスし過ぎず、「経験すること」に対して積極的な気持ちがあるか否かで考えましょう。
(菊池美佳子)

この記事を書いたライター

菊池美佳子
コラムニスト。1977年3月17日生まれ。岩手県盛岡市出身。21歳~29歳まで、舞台女優のかたわら、様々なナイトワークを体験。29歳で引退後、コラムニストとして活躍中。